寸感

 「新日本文芸協会」という、新しい団体を発足させた方々に招かれた。基本は出版社の共同組合が母体のように認識した。そして「本を作って舞台に上がろう」というコンセプトを掲げているらしい、ということしか理解していない。

 三月十七日に芸術劇場で、その本を出版したひとたちが奨励されて自作を読んだり、紹介したりの一日があった。
 私が注目したのは、「ドイツ大好き」をテーマにしたエッセイ募集の企画である。この企画の良さは、単なるエッセイコンテストでは、身辺雑記に終わってしまって、あまりにも、作品のレベルが玉石混合になりすぎてしまう。もっと言えば、文芸性を問うこと以外に、目的はない。それなら、あえて、大きな舞台を用意する必要もないのである。
 掲げるテーマがあることで引き出される能力があり、テーマがあるから展開される世界があるものだ。そういう意味では、今回集まったエッセイは、レベルの高さだけではなく、話題性に富んでいた。

 もっとも感心したのはもう一つの企画「ツェッペリン伯号と霞ヶ浦の恒二少年」である。これは昭和四年に世界一周を成し遂げた巨大飛行船の話題である。そのツェッペリン伯号が唯一日本の茨城県の霞ヶ浦に舞い降りたときのことである。
 
 その本は、そのとき五歳でツェッペリン伯号の中を見せてもらった人が現存していたことがきっかけのようである。
 民間人で唯一中に入れて貰った少年は、その飛行船の食堂のラウンジを印象濃く覚えていた。そこで、ドイツ人の技師が写真を撮ってあげる、と言ったが写真などに慣れていない少年はラウンジの柱にしがみ付いて拒否した。話はそれだけでは終わらない。

 後日、と言っても六十年後にツェッペリン伯爵の孫が当時の乗組員とともに霞ヶ浦を訪れた。その孫であるイーサ婦人は「船で撮った幼稚園くらいの坊やの写ったものがあるが、誰だかわかりますかと訊ねた。
料亭の経営者になっていた恒二少年がそれは自分だと名乗ったところ、婦人は後で送ってあげましょうと言って帰国した。ところが二十年経ってもそのその写真はなぜか送られてこなかった。

 この物語を伝えなければ、と立ち上がったのが、菅原克行新日本文芸協会理事。この話を小学校に伝えて、飛行船の絵を描かせ、飛行船への思いを文章に綴らせた。発展はまだあった。
 その小学生の一人が「ドイツの大統領へ」と題して、まだ届かない恒二少年の写真を探してくれないかという手紙形式の作文を書いたのである。

 後日談であるが菅原さんは、小学生の書いた手紙をドイツ大統領におくったのである。
大統領代理から、探してみましょうという返事がきている。この企画は夢のある出色のものだ。めったにこんないい企画には出会わないだろう。

 新日本文芸協会・協同組合SN文芸協会がどのような成立の過程があったのは分からないが、とにかく初めはそんなに広げなくてもいい。なんだか爽やかなことをやっているな、と内外へ印象つけることが、今大切なのではないかと思うのである。

コメント / トラックバック1件

  1. naoko より:

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    この話断片的に知っています。そうだったのですね。
    単なるドイツ好きを超えたいいエッセイですね。
    会の趣旨はわかりませんが、こういう話が出てきたら企画そのものも素晴らしいことになりますね。
    そのドイツ夫人が写真を送ってこなかったのにも同情の余地はあります。
    私も外国宛に手紙を出しそびれた経験が2度もあるので。
    この場合送ってこなかったからこそ、盛り上がっているように思います。

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